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宮崎地方裁判所延岡支部 昭和30年(ワ)80号 判決

原告

広瀬京子

被告

小田島吉

主文

被告は原告に対し金十萬円を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

(省略)

理由

原告が昭和二十三年三月十一日父広瀬晟及び母同ナミ子間の三女として生れたものであること並びに被告の飼育する犬が昭和三十年五月二十一日被告方において原告の左頬に咬みつき咬傷を与えたことはいずれも当事者間に争のないところである。

原告は右負傷は原告が被告方表出入口前庭において腹這いとなつている犬の首筋を撫でようとして突然咬みつかれたによるものであると主張するに対し、被告は原告が被告方表出入口前敷石上に腹這いとなつて睡眠中の犬の背中に馬乗りとなり、その両耳をつかんで引張る等、程度を越えて虐待し、これを怒らせて咬みつかれたによるものであると抗争するので、この点について考えてみるに、証人小田正子、松田初子及び広瀬クミ子の各証言、原被告各本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、原告は前記昭和三十年五月二十一日夕刻頃被告方に電気料の集金に行く姉広瀬クミ子(当時十一才位)に伴はれて被告方に赴いたか、同家表出入口前庭に野放のままの犬が腹這いとなつているのをみ、元来犬好きのところからこれに近附き、「可愛い」と言いながら手を差出してその首筋を撫でようとしたところ、突然その犬が跳ね起き前記の如く原告の左頬に咬みついて咬傷を与えたものであると認めるのが相当であり、証人小田正子及び松田初子の各証言並びに被告本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに信用を措き難く、その他に右認定を左右するに足る証拠もない。

そこで、被告には本件犬の保管については何等不注意の責がない旨の被告の主張について考察する。

証人落合正、柳田光春、大倉功二及び福谷喜男の各証言を綜合すれば、本件犬は、(一)昭和二十七年頃福谷喜男(当時十一才位)が水泳に馳けて行く際、同人の後を追つて行き、その右足に咬みついて咬傷を与え、(二)昭和二十九年頃柳田光春(当時十二才位)から背中を撫でられていた際、突然同人の右腕に咬みついて咬傷を与え、(三)同年頃いもの皮を喰つていた際、これを眺めていた大倉功二(当時十一才位)の右手掌に突然咬みついて咬傷を与えたことを認めることができ(証人小田正子及び松田初子の各証言並びに被告本人尋問の結果中該認定に反する部分は措信しない)、これによつてこれをみれば本件犬は極めて気が荒く、咬癖を有し、他人に対し危害を加える危険性の甚だ強いものであると言はなければならない。

尤も証人小田正子及び松田初子の各証言並びに被告本人尋問の結果を綜合すれば、本件犬は被告が昭和二十六年頃生後三、四ケ月位であつたものを貰い受けて飼い馴して来たものであつて、被告並びにその家人に対しては極めて温順であることが認められるけれども、飼犬がその飼主並びにその家人に対し極めて温順であることは犬の通有性であつて、これがため本件犬が他人に対し危害を加える危険性のないことの証左とはならない。

ところで証人小田正子及び松田初子の各証言並びに被告本人尋問の結果を綜合すれば、被告並びにその家人は本件犬の前示性質を熟知していたことが窺はれる。従つて本件犬の飼育者たる被告としては、本件犬が夜間盗賊に対処する場合ならば格別、通常の時においては、他人に危害を加えることのないよう犬舎その他適当な場所にこれを収容するか、さもなくば他人がこれに近附かないよう常に監視し、近附くものに対してはこれを制止する等、その保管につき万全の措置を講じ、又家人をしてこれを講じさせるべき注意義務があるものと言うべきところ、本件についてこれをみるに、証人広瀬クミ子の証言並びに検証の結果を綜合すれば、被告は本件犬を他人の往来が容易に予想される被告方表出入口前庭に野放しのまま放置していたばかりでなく、原告が本件犬に近附いた際その附近に居合はせてこれを認めながら、原告に対し何等の制止をもなさず、又家人をしてこれをなさしめなかつたことが認められ(この点に関する証人小田正子及び松田初子の各証言並びに被告本人尋問の結果は措信しない)、これがため遂に本件犬が前に述べた如く原告に対し本件咬傷を与えたものであるから、被告は本件犬の保管についての注意義務に著しく欠くるところがあつたものと断じなければならない。

以上の理由により、被告は原告の本件負傷によつて原告の受けた精神上の苦痛に対しこれが慰藉をなすべき法律上の義務がある。

そこで右慰藉料の額について考えてみるに、当事者間に争のない原告は本件負傷後医師の治療を受けたが、現在尚その瘢痕が残つていることの事実、鑑定人岡村嘉彦の鑑定の結果に徴して認められる右瘢痕は医療を施せば完全とは行かないまでも或る程度はこれを治癒させることができ、そのためには数ケ月の医療期間を必要としその間に要する直接医療費は約三萬円乃至五萬円であることの事実、当事者間に争のない原告家が小作農を営み、不動産としては僅かに居住家屋を所有するに過ぎないけれども、その生活状態は居住部落において中流であること及び被告家が自作農を営み、固定資産評価格五十五萬円余の田、畑、山林、宅地、家屋等の不動産を所有し、その生活状態が居住部落において中流であることの事実、被告本人尋問の結果より認められる被告は原告の本件負傷と同時に原告を三輪車で延岡市に運び、原告の伯父坂本六三郎の指示を受けて同市の橋本病院に入院させたばかりでなく、その後再三に亘つて原告側に対し陳謝すると共に見舞として白米五升及び金五千円をも贈呈したことの事実、その他前叙諸般の事情を参酌して考量するときは、前記慰藉料の額は金十萬円を以て相当とする。

被告は原告本件負傷については原告にも過失があつたのであるから、本件慰藉料額を定めるについてはこれを斟酌すべきである旨主張するけれども、たとえ原告に過失があつたとしても、原告は当時未だ七才の少女であつて、その行為の責任を弁識するに足るべき智能を具えたものとは認め難く、従つて本件慰藉料額を定めるについてはこれを斟酌すべきものでないから、右被告の主張はこれを採用しない。

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は右金十萬円の限度においてはこれを正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 江藤盛)

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